平沢進氏の「CAMBODIAN LIMBO」について本気で考えてみた。。。

平沢進氏のアルバム「BLUE LIMBO」の4曲目「CAMBODIAN LIMBO」について少し考察したいと思います。なお、今回も前提として曲単体での意味を考えます。
ちなみに何度も言いますが、これはあくまで個人の感想&意見ですので、鵜呑みにしちゃあいけないですぜ。

 神秘的で静謐な雰囲気に包まれた一曲で、この曲だけ聴くとドイツのEnigmaやカナダのDeleriumといったアーティストを彷彿とさせます。曲調のみで捉えた場合感じ取れるのは「悲哀」や「宗教」といった要素でしょうか。 
 では曲名「CAMBODIAN LIMBO」について。CAMBODIANは文字通りカンボジア、LIMBOは英語で「忘却」、キリスト教の言葉で「天国と地獄の中間地点」を意味するそうです。後ほど説明しますが、おそらくここでのLIMBOはどちらの意味合いでも通じるものだと考えられます。
 カンボジア」、「悲哀」という言葉で考えたときに真っ先に思い浮かぶのは、カンボジア共産党ポル・ポト政権による自国民の大量虐殺です。4年間で200万人が何の理由もなく殺害されるという異常事態。その内容についてここではあまり触れませんが、「CAMBODIAN LIMBO」はこのことについて綴られた詩であると考えます。
 それでは歌詞について。太字部分が歌詞です。
雷鳴の回廊に降る バイヨンの嗚咽の雨 夢に来る何万の声 知られぬ亡骸の
 この部分は犠牲となった人々の存在について、バイヨンの視点から表現されたものだと思われます(バイヨンについてはWikipediaを参照)。雷鳴はヒンドゥー教でローカパーラの一柱であるインドラ神を表し、それらを司るバイヨンの回廊にまるで嗚咽を漏らすかのように雨が降り注ぐ光景を想像できます。
届けよ黄金の朝を待たず 前人の知恵よ 眠るキミヘと密かに
 ここでいう”キミ”はポル・ポトを指すと考えます。前人の知恵はヒンドゥー教を意味し(現在カンボジアは90%以上が仏教徒であるらしい。)、”キミ”はヒンドゥー教の教え通りの死後が与えられるべきという意味です。
四方には深淵を聞き 無言の知らせ放つ 全て知る花の香に バイヨンの怒り込め
 バイヨンの構造は東西南北に城門があり、その中心にバイヨンがあります。また、東の城門は「死者の門」と呼ばれており、死者は東の城門からバイヨンに帰ると言われています。なお、東のローカパーラはインドラ神となっています。歌詞に沿えばこの部分はポル・ポト政権下の状況を表現しているのではないでしょうか。四方からは人々の苦しみの声が聞こえてくるが、それに対する返答を知らせる術はない。しかし”全て知る花の香(ここでは宗教そのものや殺戮の対象とされた知識人達を指すと考える。)”はバイヨンの怒りを汲み、反抗に転じようとする状況です。なお、粛清を逃れた幹部や知識人達はカンプチア救国民族統一戦線に参加したそうです。
帰れよ 死の門より歌い 万里を照らして 遥かキミまで今すぐ
 ここでは前述の戦線で命を落とした兵士から”キミ”まで、すべて死者の門からバイヨンへ帰ることを指していると考えられます。
全て知る花の香に 蛮行の火は恐れ 陸を焼く蛮人の矢に 神聖の名は書かれ
 ここでの”蛮行の火”、”陸を焼く蛮人の矢”はポル・ポトの政策を指しています。ポル・ポトは自らの政策の矛盾を指摘されることを恐れ、知識人や宗教(全て知る花の香)を徹底的に排除し、無知な子供には自らを神聖化するよう教育しました。
全て見る雷鳴は来て 眠れるキミを打つ
 このフレーズは最後にもう一度繰り返されるフレーズで、重要な部分と考えられます。”全て見る雷鳴”はインドラ神を指し、”眠れるキミ(ポル・ポト)”を打つ(討つとも捉えられます。)のですが、繰り返し歌われている点がポイントとなります。
 さて、以上が歌詞の内容であると考えました。アルバム「BLUE LIMBO」はディストピア三部作の一作目であるという位置づけからメッセージ性の強い作品とされており、その作品の中でも特に「CAMBODIAN LIMBO」は曲名からして強いメッセージ性を放っています。曲名通りの解釈で進めれば「当時のカンボジアの人々へのレクイエム」、「権力と結び付いたイデオロギーの危険性」といった内容が主題になると考えられます。しかしながら、今回は歌詞で出てくる”キミ”の解釈をあえて「犠牲となった人々」ではなく、「ポル・ポト」として読み進めました。これは、前述の内容以上に、怒りに近い感情を感じたからです。ヒンドゥー教や仏教で説かれる”輪廻転生”という概念についてはある程度一般的に知られていることですが、ヒンドゥー教における輪廻転生は生前の業(カルマ)が大きく影響し、業の深さは因果応報により気の遠くなるような歳月をかけて償われるそうです。歌詞に立ち返れば、「ポル・ポトはその業の深さによって幾度となく転生を繰り返し、償う必要がある」というメッセージが浮かんでくると考えられるのではないでしょうか。ちなみに、歌詞の最後から二番目に次のようなフレーズがあります。
降れよ 黄金の月を待たず全知の雨よ 遥かキミさえ濡らして
 ヒンドゥー教の輪廻、五火説についてWikipediaから引用します。
「五火説とは、五つの祭火になぞらえ、死者は月にいったんとどまり、雨となって地に戻り、植物に吸収されて穀類となり、それを食べた男の精子となって、女との性的な交わりによって胎内に注ぎ込まれて胎児となり、そして再び誕生するという考え方である。」
 即ち、月でとどまる”キミ”を待たず雨を降らし、遅々とした転生を繰り返させることにより永遠に近い時間をかけて償いをしていく必要があると解釈することができるのではないでしょうか。曲名のLIMBOはこの一件で犠牲になった方々を「忘却」しないようにという戒めの意味と、おそらくカンボジアでのリンボ(キリスト教用語では善人のみが行ける救いの場所。)へ行ける者、行けない者が誰かを指しているものと考えられます。その誰かが”キミ”なのだと思います。
 以上で考察を終わります。長々と読んでいただきありがとうございました。